神谷俊一氏とレッドブル・エアレース
レッドブル・エアレースは2003~2019年まで開催されていた曲技飛行パイロットによるエアレースシリーズです。正式名称は『レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ(Red Bull Air Race World Championship)です。国際航空連盟(FAI)公認のレースでした。「空のF1」とも形容されています。

ピーター・ベゼネイ氏が提案し、レッドブルの企画で2003年に始まり、2011~から2013年まで一旦休止され、2014年からレギュレーションを改定して再開されました。このレッドブル・エアレースが日本でも開催されるようになったのは2015年からで、この日本における千葉県千葉市美浜区の幕張海浜公園における開催を実現させたのが、神谷俊一氏の手腕です。

その事を熊谷俊人氏は機会がある度に何度も言及しています。熊谷俊人氏の公式ウェブサイト中に著書の『千の葉をつなぐ幹となれ』の本文が抜粋されて紹介されています。その中でも『第3章 挑戦し、先駆例を次々と生み出す千葉市へ ~都市活性化③~』の欄にレッドブル・エアレース誘致における神谷俊一氏の活躍が著されています。
 
室屋が有終の美 エアレース千葉2019で優勝
 

 
レッドブル・エアーレースが果たした機能として、曲技飛行を行う機体のレギュレーションの関係から「技術史」について特別な感慨を呼び起こします。曲技を競わせるのに、人間の操縦技術を評価の内容に多く含ませるために、機体のレギュレーションの大枠を決めその中での整備技術の競争を盛り込みます。この事から必ずしも最先端の航空技術での機体競争とはならないのです。それが過去の技術に関しての尊敬や、過去の技術を保持する保守技術の維持へと繋がります。

過去の技術史を垣間見るからこそ、現在の技術に関しても、やはり機体と操縦士の調和の中で運用が為されていることに気づかされます。これらをレッドブル・エアレースは2017年に零戦のエキシビション飛行で、2019年にUS-2のエキシビション飛行で見せてくれました。

またこれらの考え方とは異なる別の視点からの批判を繰り返す人々も居り、それを超えて実現に導いた関係者の努力や手腕には頭が下がります。
 
零戦 日本の空に舞う 日本人パイロット操縦で戦後初 零式二二型
 
 
エアレース千葉に飛来した海上自衛隊飛行艇US-2の着水・離水
 

 
卓越した議論の整理整頓を行う熊谷俊人千葉市長
 

 
歴史とは積み重ねであり、断ち切ったり歪曲したり改竄したりできるものではありません。反省はできても、否定することはできないものです。

火や刃物を使うのは人間です。技術を使うのも人間です。人間が用いる技術は、人間に恩恵をもたらすことを目的としていても事故や誤用により不幸な結果を招く場合があります。もちろん、戦争は否定されるべき性質のものですが、それとて、防衛戦争ならば止むを得ないと判断するのが政治家の役目でしょう。

技術や経済の発展は決して悪ではありません。物事に対する見方、捉え方は一面的では無いので、様々な意見が噴出する場合もありますが、そのような中で、熊谷俊人氏や神谷俊一氏は自らの与えられた立場の中で、理路整然と周囲を説得しながら千葉市を前進させてきました。

中島けんじも市議会議員の立場で、言うべきことを述べ、調整を図り、この前進のための一助になってきたと自負しておりますが、ニューノーマル(新常態)への移行を成し遂げる必要が生じた現在は、一旦は纏まり、無駄を排して、前進の努力の効率を上げることが重要です。その為には行政を知る神谷俊一氏が新しい市長に適任だと、中島けんじは考え、また新しく選出された熊谷俊人千葉県知事も合わさり、相乗効果を発揮して、新生千葉市、新生千葉県が躍進することを期待しております。
 

 
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